日経MJ
開業四半世紀、緑と共に成長 -名古屋・千種区「星が丘テラス」-
2003年開業以来、地域ブランドを育て続けてきた名古屋市の商業施設「星が丘テラス」。富裕層が多く住み、緑が多く、文教地区でもある同地域は住みたい街ランキングの上位に入る人気の街だ。それを牽引してきた商業が「星が丘テラス」で、買物や散策を楽しむ客で賑わう。開業から四半世紀が経ち、次の大型開発へ駒を進めようとしている。
街づくり、次のステージへ
星が丘テラスは「この街の風景になることを目指す」を掲げて開業した。この22年間で宣言を着々と実行し、商業の存在価値を地域に根付かせた。
名古屋市千種区の丘陵地にある星が丘テラスは、緩やかに傾斜する公道の両側に低層のEAST棟(30店舗)、WEST棟(21店舗)、THE KITCHENの3棟で構成されたオープンモールだ。名古屋市営地下鉄の東山線の星ケ丘駅前からTHE KITCHENと2棟が丘に向かって並び、ゆっくり足を進めていくと様々なショップの顔が見えてくる。
EAST棟は4階建ての直線的な建物だが、途中から内部に小路を設け、左右のファッショナブルなショーウインドウを楽しみつつ、イベント広場に到達する。上層部にはテラスのあるレストランやカフェが配置されている。WEST棟は大きな円弧を描く2階建ての建物で、公道から繋がった緑地と歩道、店舗が一体となり、リュクスな景観をつくり出している。
全体の建物面積は約6,170㎡と小規模だが、傾斜地を3棟の建物とデッキ、テラス、緑地で有機的に結び付けている。公道が人々の目線を奥に導いていく有効なバッファゾーンとなっていて、街と商業の風景ドラマが展開されている。
開業当時は、全国で効率を重視した重層階の商業ビルが主流だった。その中で「こんな贅沢な商業空間がつくれるのか」と多くの人は驚いた。新型コロナウィルス禍を経て、星が丘テラスの価値はより上がり、珍しいオープンモールとして知られる存在になっている。
事業者である東山遊園(名古屋市)の地域との関わりは江戸時代からで、この地の商家で御用林の払い下げにより大地主となった。街づくりの視点から名古屋市へ土地を寄付し(現在の東山動植物園)、その後は不動産賃貸業やレジャー施設の開業等、地域発展に深く関わってきた。
また、1955年には日本住宅公団(現・都市再生機構)による団地の建設が始まった。1967年には地下鉄が延伸され、星ケ丘は名古屋の中心地の栄駅から14分の利便性により住宅地として注目された。さらに大学や高校等の移転も相次いで文教地区となり、街は発展を続けている。
名古屋では、星ヶ丘は富裕層の住む憧れの街として知られている。自然豊かでおしゃれな街並みや上質な商業エリア、中心地からの利便性の高さ、治安の良さ等の点で高評価を得ている。東山遊園は施設計画時に、米国の有名設計事務所のM.アーサー・ゲンスラー・ジュニア・アンド・アソシエイツを招いた。他に類のないオープンモールを打ち出した事が、エリアイメージを創り出す要因になったのだろう。
現在の星が丘テラスのブランディングには大きく2つのポイントがある。1つ目はボタニカルタウンを標榜し、東山動植物園と連携して花の坂道プロジェクトやウィンターイルミネーション等を実施している。市民や企業、学生が参加し、植物と共生する街づくり活動を日常的に進めている。
2つ目は、開業10年目に店舗構成を再編した。開業時は周辺に競合となる商業施設がなかったので大型店やチェーン店を集めたが、近年は周辺に郊外モール等が複数進出している。ターゲット像を見極め直し、星が丘テラスの独自性を打ち出すMD構成に切り替えた。東山遊園の開発企画部の岡戸康代ディレクターは「地域にこだわりエシカルな暮らしを支えるMDに軸足を変え、地域の客層に寄り添うMDを構築した」と話す。
2015年には入り口部分にあった中部電力のショールームを、THE KITCHENとしてベーカリーカフェや食の物販店舗に変更した。隣接する星ヶ丘三越(名古屋市)との連携を持たせるため「食」を強化した。2023年にTHE KITCHEN2を追加し、THE KITCHENと合わせて新テナントを迎え、集客につなげている。
星ケ丘地区では2027年以降、2期にわたる再開発事業計画が進んでいる。これは東山遊園が所有するボウリング場(1970年~2023年に営業)の跡地に、商業・大学・図書館等の公共施設、オフィスや小劇場、マンション等の複合施設が全体街区18,510㎡の敷地で計画されている。
星が丘テラスの誕生から四半世紀を経て、街の成長は次のステージへと進もうとしている。
(記:島村 美由紀/日経MJ「デザイン面」 2025年(令和7年)7月30日(水)掲載)
