MAGAZINE

2021.02.10

日経MJ

紀尾井町、軽くしなやかに ー「旧赤プリ」跡地、新たなにぎわい ー

 

 旧赤坂プリンスホテル(通称「赤プリ」)は丹下健三の代表作で水晶柱をモチーフにした巨塔は記憶に残る東京の景観だ。華やかな社交場だったホテルは解体され、2016年に複合施設「東京ガーデンテラス紀尾井町」が生まれた。バブル時代とは真逆なコンセプトに新時代の到来を感じる。

 
 

解放感と連続性 緑地もアート

 2013年の赤プリ解体完了以降、この地のことは忘れていたがある時、待ち合わせ場所として指定された「東京ガーデンテラス」に行くと気持ちの良い空間で知人と豊かな時間を過ごすことができた。バブル時代に巨大白壁のごとくそびえ立つ赤プリの跡地が風と緑を感じる快適施設に様変わりしたのに驚き、その後もたまに訪れている。

 

 東京ガーデンテラス商業ゾーン(1階~4階)には3つの魅力を感じる。

 

 1つは“エアリアル”であることだ。1階は紀尾井町通りに面し「花の広場」と名付けられた広々とした空間が来館者を迎えてくれる。おしゃれなカフェやデリカデッセンの店が並び、解放されたテラス席では食事やお茶を楽しむオフィスワーカーや街の人の姿が絶えない。

  

 2階~3階のレストランが連なるモールには弁慶濠やポケットパークに抜ける小道がありビジネスマンの憩いスペースになっている。そして4階にはこの複合施設のシンボルである「赤坂プリンス クラッシクハウス(旧赤プリ旧館)」と「水の広場」が配され、都会のど真ん中に歴史的建造物と水と緑が融合したぜいたくな象徴空間がつくられている。

 

 高層ビルでありながら多様なエントランスと大小広場が設けられ、空気の流れや季節の移ろう気配を感じられる解放されたスポットが至る所にあるのはコロナ時代に適応したありがたい環境づくりだ。

 

 2つめは“シ―クエンシャル”である点だ。オフィスワーカーや街の人に対応した商業ゾーンは床面積約10,800㎡の小規模ゾーン。1フロア当たり3~12店が集積する多層階という難しい条件を、縦動線の位置やエスカレーターゾーンの凝ったデザイン、各フロアの雰囲気演出などで、まるでスキップフロアを上がるように場面から場面を上手に連ならせて、来館者が上へ上へ導かれる。

 

 やがて4階に至ると、クラッシクハウスと水の広場との感動的出合いが待ち受けている。東京ガーデンテラスのシ―クエンシャルな仕掛けによる来館者へのサプライズだ。

 

 3つ目は“チャーミングなアート”がある点だ。複合施設の足元には来館者の目線を楽しませる9個のパブリックアートが配置されている。敷地内の45%を占める緑地と調和し、絵になる景色をつくる。特に花の広場にある花と蝶のオブジェとクラッシクハウス前に立つホワイトディアのオブジェはチャーミングでSNS人気の高いフォトスポットだ。

 
 

地元とも交流深め 堅いイメージ払拭

 開発初期からプロジェクトを推進してきた西武プロパティーズの取締役常務執行役員・齊藤朝秀氏は「紀尾井町通りとプリンス通りの高低差18mをいかにつないで街を東西に結び付けるのかが計画の軸だった」と語る。

 

 紀尾井町は紀州徳川家、尾張徳川家、彦根井伊家の中屋敷があった地。そこに赤プリや清水谷公園、上智大、ホテルニューオータニなどが明治時代以降に建てられた。その中で赤プリは紀尾井町通に面し、高さ140mの超高層ホテルでホテル客を重視した、華やかだが閉鎖的な存在だった。向かいのホテルニューオータニもバブル時代はショッピングモールに一流ブランド店が軒を連ねる高級商業エリアとして注目されていた。

 

 昭和・平成時代には都心の競合エリアが限られており、紀尾井町や赤坂は一等地ポジションだった。だが、平成後期から令和にはウォーターフロント開発などが進み、都市機能が集積する競合エリアが多数誕生した。近年では隣接施設・隣接エリアがリンケージし、街と街が結びつき充実した地域としての魅力を発揮できなければ、選ばれる場にはならなくなっている。

 

 東京ガーデンテラスの開発は赤坂見附、紀尾井町、麹町などの街と街どうしをつなぐために、人の往来を生む「開かれた施設づくり」が強く望まれ、魅力ある仕掛けを施設の随所に盛り込むことでファンが増え、街の活性化を先導している。

 

 地元に永く住む人々との交流の中で、現在のクラシックハウスである「旧李王家東京邸」の庭に赤いバラが咲き誇っていた記憶から施設の庭をバラで飾るローズウィークを開催したり、清水谷公園へ抜ける緑の軸のビオトープで蛍を麹町中学校学生と協力して育てたり、星の観望会を開催したりと地域とつながり合う活動を継続的に行っている。「質ある活動や、目配りあるオペレーションが良いイメージをつくり施設ブランディングとなる」と斎藤氏は自信を見せる。

 

 東京ガーデンテラスの存在が保守的で堅くなった紀尾井町に、軽くしなやかな時代の空気を送り込んでいる。今日も広場前のテラスには女性たちや犬の散歩に立ち寄った人がくつろぐ姿があった。

 
 
(記:島村 美由紀/日経MJ「デザイン面」 2021年(令和3年)2月10日(水)掲載)