MAGAZINE

2014.11.07

不動産フォーラム21

昔からある街並みのように新しい街をつくる
七日町御殿堰の魅力

 

 このごろ日本を訪れる外国人が増えていますが、買物目的の観光客ばかりではなく古都や下町などのシブい日本文化に親しむことを目的とした外国人もかなり多くなりました。知人の紹介で先日会ったイギリス人夫婦もこのシブ好みカップルで、「日本らしい町並み」に関心があり、旅した日本中の「らしい町並み」の写真を見せてもらいましたが、どれも私たちが見たことのない日本の古い町並みで、何やら新鮮な感じのする「日本らしさ」で興味深い写真でした。

 そして、その中の1ヵ所が偶然にも私が初秋に見学した“山形の昔からある街のたたずまいを新たに再現した町並み開発の事例”であったので、外国人と同じ街の風景に魅力を感じたことに驚きました。

 今回はこの山形再開発事業「七日町御殿堰開発」についてレポートをいたします。

 

水の音はすれども姿見えぬ歴史ある堰

 市の中心商店街の七日町は、地域一番の百貨店もあり内陸唯一の商業集積として栄えた町で、今でもその名残を感じさせる雰囲気がわずかに漂っています。昭和時代には、新庄や米沢からも七日町のアーケードや百貨店を目指して人が集まり、歩行者天国で道路が人波であふれるほどだったそうですが、今ではほかの地方都市と同様に人影もまばらな静かな街になっています。

 この七日町の中心に「七日町御殿堰」というやや商業地らしからぬ名前の商業ゾーンが今から4年前の2010年春にオープンしました。写真でご覧のとおり、「山形には昔からこんな街並みがあったんだろうな」と思わせるようなステキな自然な街並みが、そこにできあがっています。“古いものがわざわざ古い古いように新しく作られている”という面白さがこの写真から読み取ってもらえるでしょうか。
 「御殿堰」とは何か?私も東京でこの名を聞いたときは、不思議な感じがしました。御殿堰は山形市内を流れる水路の一つです。400年前、馬見ヶ崎川がたびたび氾濫し人々に水害をもたらしていました。当時の山形藩主が馬見ヶ崎川の流路を変更し水害を防いだそうですが、上流で取水した水を城下に流し、生活用水や灌漑用水として活用したのが山形五堰の起こりで、その一つ御殿堰はお城の三の丸の濠に流れ込んでいるので御殿堰という名がついたそうです。地元の人の話では、敵の侵入時にはこの堰を武士が近道として駆け抜け敵と戦ったという逸話が残されているそうです。この歴史ある堰は戦後の街の発展で多くの部分に蓋がされ暗渠となりました。私が見た街の中でも、堰の水の流れを見ることができたのはほんの一部で、水の流れる音はすれども堰はわからなく、街の人に蓋をあけてもらい暗い堀を覗いて流れを知るほどです。もったいないですね。

 

昔を伝える堰・蔵・木造に会を見出す

 4年前に開業した七日街御殿堰は、一人の商業者の困り事から始まった街の再開発事業です。明治期から山形で呉服屋を営業している結城屋は昭和27年に当時山形の中心であった七日町に出店、4代目になる結城康三氏が平成に入り街の中心にある生命保険会社ビルの1階に入居し商売を続けていたところ、2005年に保険会社の撤退によりその土地建物の売却話が結城氏に持ちかけられました。氏にとっては店舗経営上の大問題ですが、個人ではとっても資金の工面ができないため地域の知人に出資を求めると同時に、隣接するお茶屋の岩淵茶舗に話を持ちかけ、保険会社の土地と岩淵氏の土地を合わせて共同開発の計画を立て、開発会社(資本金6,000万円 株主8名)を設立し、再開発事業に取り組むことになりました。

 ここで興味深い点は、約950㎡ある敷地に対し目いっぱいの建物を建てず、街並みと山形の歴史に目を向けた2層の低層建築とし、敷地奥にあった大正年間築造の茶蔵と明治3年棟上げの座敷蔵を残しそのまま店舗として活用するという計画を実行した、非効率さをあえて価値とする結城氏の視点のユニークさだと思います。

 また、前述した堰は、ちょうど山形市が中心市街地活性化基本計画の策定に入る時期だったので水路の再整備構造を基本計画にのせるよう申し出て、その後この御殿堰整備は市が実施主体となって開渠を復元し、同時に開発会社(七日町御殿堰開発株式会社)が商業施設をオープンさせることになりました。市と民間会社がお隣同士で見事にマッチングした街づくりになったわけです。

 

街で一番古いように見える新しいゾーン

 さて、この魅力的な古い町並みの新しい商業開発は、オープン以来4年が経過しますが、今は観光ガイドに載る街の名所になっています。母屋には6店舗のShopが入っています。創業明治13年の岩淵茶舗は現在4代目が店主で、茶葉だけではなく甘味屋を併設して街の憩いの場になっています。開発をリードした結城氏の店である結城屋も呉服や和装小物の店を展開、山形出身の世界的デザイナー奥山清行氏(フェラーリ等のプロダクトデザイナー)のショールームや山形では有名なそば処庄司屋はいつも満席の客でにぎわっています。

 また、前述した2棟の蔵店舗は敷地の奥にあるのですが、ここも人気スポットになっており、山形の若手経営者が茶蔵を借りて。ワインとコーヒーの美味しいおしゃれなカフェを開業。ランチからディナーまでカップルや女子会でにぎわています。座敷蔵は大人かわいい雑貨店。和雑貨やアクセサリーが蔵の中におさまって、グッと魅力度アップの商品に見えます。この2棟の蔵は古いのでカフェの厨房をつくるにしても、雑貨の2階売場をつくるにしても、テナントの負担がたいへんだったそうですが、蔵という価値が人を呼び売り上げを呼んで人気店となっているそうです。テナントの投資努力も報われていますね。面白いエピソードで、カフェで使っている蔵の床板が2度も抜けてしまったそうです。椅子に座って食事をしていたお客様もビックリしたそうですが、そこは古い蔵だからこそのアクシデント。お客様が怒り出すどころか店中が大笑いで幕引きとなったそうです。

 古さの良さは街に楽しい笑いもつくり出しているのですね。

 

街づくりが面で広がるために

 七日町御殿堰開発が開業した後、仙台から来る人たちから「山形は古い物をよく残していますね、街がきれいでほっとします」と言われるそうです。仙台は空襲があり古い街並みが残っていないので、山形が新鮮に映るそうです。それは仙台の人だけではなく、東京からも外国からも山形に感じる魅力ポイントです。郊外の大型ショッピングセンターが山形でも複数誕生していますが、御殿堰のような街中に眠っている資源や土地を掘り起こして街のために有効に生かしていくことは大切なことです。また結城氏のように個人のがんばりで実現した街づくりもすばらしいプロジェクトだと思います。それを山形の人も仙台の人も外国人も価値のある景観として感じているのでしょう。こんな街づくりの活動がもっと七日町に面として広がっていくことを期待します。

 

 

(記:島村 美由紀/不動産フォーラム21 2014年11月号掲載)