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2023.03.01

販売革新

弱味が強味に変わった川崎-百貨店なきビッグシティの 商業「活性化」事例-

  

地域学的優位性をもった川崎

 政令指定都市の川崎市は百貨店のないビッグシティです。154万人もの人々が暮らしているのに、川崎市は政令指定都市(20都)の中で一番早く百貨店がなくなりました。何故なのか?を紐解くために“百貨店のないビッグシティ川崎”の今の姿をお話しましょう。

 

 この20年で川崎のイメージは激変しています。「住みやすそう」「便利そう」「活気がある」という声が上がっています。昔の川崎は京浜工業地帯のためダークなイメージで、公害ですすだらけ、風俗店に飲み屋街、怖いお兄さんがいる、という印象で好かれる街ではありませんでした。

 

 世田谷区や町田市に隣接する川崎市の山側に住む人は「私は小田急線の川崎です」とわざわざ強調するほど海側の川崎の持つイメージは低いものでした。

  

 商業分野でも目立つ施設はありませんでした。その理由は東京都と横浜市の大規模商業圏に挟まれ、有楽町駅や横浜駅まで15分程度で行ける抜群の便利さがあるため、駅周辺の商業は最寄り品を主にした商店街や駅ビルだけで、商業者は「大都市へのお客の流出は仕方ない」、生活者は「川崎には何もないから高額品やこだわり品は都内や横浜へ」とお互いが地元商業へ期待薄の姿勢でした。

 

 川崎は山側から海側へ南東に細長い地形のため、古くから東京と横浜方面を結ぶ横の交通網が発達しています。(鉄道8路線、高速道路5路線+東京湾アクアライン)。このため、勤務先や通学先を東京や横浜とする住民が多く、買物も流出するという“大都市に挟まれたことを弱味”とする街だったのです。

 

 日本の人口は2020年以降減少していますが、川崎市の人口は右肩上がりに増え、2030年には160万人を突破する予測です。政令指定都市の中で、人口が増えているのは5都市のみで、川崎はそのひとつです。

 

 川崎市の人口動向には興味深い特徴があり、高度成長期は山側、平成・令和期は海側に人口増加の流れは変化しています(図表①)。特に海側3区(川崎区・幸区・中原区)の居住者は20代~40代の家族形成期世代が多くて高齢者が少ない傾向にあり、活発なライフステーで暮らす人々です。

 

 居住者増の要因には、昔のダークな川崎とは真逆に“利便・活気・多様性”が支持され、川崎駅から徒歩圏の多摩川沿いや、武蔵小杉駅周辺におしゃれなタワーマンションが建ち、感度の高いタワマン族が増えています。驚くのはマンション価格で、川崎駅徒歩圏(10分程度)で330万/坪~370万/坪。都内の吉祥寺や成城学園前と同じ価格レベルで、中古マンションが新築時より高額になっている例もあるほど、不動産価値が急上する川崎です。

 

 さらに近年、外資やIT企業などを中心に合理的なオフィス立地選択(空港や新幹線駅に近い出張環境の良さ、駅から徒歩圏で都心より割安な賃料、設備整う新築オフィスビルの有無、リモートワークが一般化し、都心アドレスへのこだわりが薄れる)をする企業が増え、川崎駅周辺はオフィス人気が上昇しています。特に駅西側の幸区は昼間人口増が顕著で、日本トイザらスや東芝エレベーターなどの有名企業が本社を構えるほどになりました。

 

 20年前川崎でSC開発に参加した折、関係者の中で「川崎は貧乏人の街だから何も売れない」とする偏見の声が上がりました。すすけた街イメージが強烈だったので、ネガティブな意見が出るのは仕方がない街の雰囲気があったのでしょう。

 

 ところが大都市に挟まれた川崎の立地は弱味から強味に変化し、交通網(道路・鉄道・空港)による“利便性”評価が急激に高まり、モノ・コト・ヒトが増加する大変化の時を迎えたのです。まさに川崎は“地域学的優位性”を持つことができたのです。

 

 意外な実態なのですが、政令指定都市の中で川崎は2位となる高所得ランキングにあります(図表②)。“貧乏人“の街のイメージは遠い昔のこと。今では好感度の高い街に変わり、住みたい街ランキングにリストアップされるほど高評価に変身しています。

 
 

川崎の百貨店が撤退した理由

 その昔、川崎にも百貨店がありました。1951年に地元呉服屋を発祥とした「小美屋」が開業、1956年横須賀から進出した「さいか屋」が開業しましたが、どちらも売場面積や商品開発力で時代に対応できず閉店(小美屋1996年、さいか屋2015年)となりました(さいか屋は小店舗が川崎日航ホテル内に残る)。

 

 その後、川崎西武百貨店と丸井川崎店が、バブル絶頂期の1988年に川崎駅東口の大型開発ビルに2核として入居、川崎の第2次百貨店ブームとして話題になりました。特に西武百貨店は1984年に有楽町でセゾングループの知恵を結集させた都市型百貨店を実現させ、勢いがあっただけに川崎進出の注目度は高いものがありました。

 

 しかし、西武の提案する商品や売り方は川崎市民にとって難解で「期待はしていたが買える物がない」「親しみが持てない」という評価が下されて、業績が悪化し2003年に閉店。丸井川崎店は“赤いカードの丸井” の文化は若年層へ浸透していたものの、一般層への理解は薄く、丸井は百貨店というイメージが持ちにくかったこともあり2018年に閉店となりました。

 

 当時、川崎消費者の中心であった30~50代にとって、いつもの買物先である横浜高島屋や横浜そごう、銀座の三越や松屋が規模・品揃え・質感の百貨店モデルをつくっていたため、西武の分かりにくさや丸井は百貨店?に対し、ハードルを越えられなかったのでしょう。百貨店には常に“地元に馴染んだ”が要求されるのだと思います。

 
 

ラゾーナ開業で潜在能力露出

 川崎商業のエポックメイキングは2006年に起こりました。それまで“駅裏”とされてきた川崎駅西口に「ラゾーナ川崎プラザ」(以下、ラゾーナ)が巨大な約8万㎡、店舗数300店という規模で開業したのです。このラゾーナの誕生は「川崎だから無理」とサボってきた商業者や、「川崎には良いものがない」と諦めていた生活者の度肝を抜く計画が実現され、川崎商業への既成概念を一変させた存在になりました。その計画に参画した弊社の当時の着眼点についてお話いたします。

 

 開発時、川崎商業の問題点を整理し、それを解決するための戦略を立てることが、ラゾーナ成功に結び付くと考えました。その問題点とは、①地域のイメージリーダーとなる核商業が欠落している、②街遊びや娯楽といった時間消費型商業が未発達である、③VS横浜、VS東京という地域差別化戦略の試みがない、④増加する新住民や新世代人に向けた平成商業(2003年当時)への対策がない、⑤女性の心を捉えるイメージの良い商業の不足、という5点でした。

 

 前段で語ったように、地域が成長しているのにもかかわらず、商業(商業者)がそれを受け止めていない課題を検討したのです。「川崎の時代対応力」を検討したのです。そしてこの課題を改善すべく計画されたのがラゾーナのMD計画です。

 

 最も重要視した戦略は、1階の約1,800坪となる食品フロアの実現でした。人口154万の川崎駅前に百貨店が無いということは、デパ地下もないわけです。おしゃれなファッションやレストランも大切ですが、地域一番規模のデパ地下的食品売場をラゾーナ1F(メインフロアは2階)に実現すれば、生活者の来店頻度は高くなると考えました。

 

 当時、地域で最も面積があった食品売場は横浜そごう1階の2,000坪だったので、それを超える規模を検討すべきとディベロッパーに提案。極端な案ではありましたが、トリプル生鮮三品(鮮魚店3店、精肉店3店、青果店3店)をも考えました。

 

 デパ地下無しは、市民にとって贈答菓子や手土産を買う場がないことを意味します。デパ地下クラスの和洋菓子テナントを揃えることにも注力し、フードコート導入などを多岐にわたり1階で計画しました。

 

 ファッションでは高感度のテナント導入を実現させたい願望はありましたが、ハイクラスを狙っても川崎はテナントから相手にされないと推測できました。ディベロッパー(三井不動産・[当時]東芝不動産)の運営する他SCで、女性評価が“中の上”テナント(当時人気のコーチ、4℃など)をメインフロアの目立つ位置に据え、川崎でこんな素敵な店が入店したのかと女性層に感じてもらえる構成を考えました。

 

 併せて飲食店も、カフェやデートで使えるフルサービス型レストランの集積を計画、時間消費型のエンタメMDなど、課題を解決するためのMD作戦を立てたのです。

 

 この時、川崎の商業の可能性を正確に予測できた人は誰もいなかったと思います。大規模なラゾーナ?駅の裏側?川崎?という複数の疑問符が大方の人々の頭に浮かびました。「川崎は本当に売れるのか?」という問い合わせを弊社でも受けました。

 

 しかし商圏を考えると、多摩川を越えた大田区(環状8号線、7号線)や横浜方面(東神奈川あたり)までは、昔からの街が広がり、駐車場が十分ある大型SCが存在しないこと、川崎駅の改札から乗客が50mでSCの来店客となることなど、お客は川崎内だけではなく、広域集客の好条件も揃っていることも可能性として考えていました。地元客は長年大きな不満を川崎商業に感じていることも分かっていたのです。そして2006年の開業となり、初年度から予測を上回る売上をあげたラゾーナは、2019年度、全国のSCランキングで2位となる928億円の売上を上げるまで大きな存在になっています。

 

 今では広場で緑と太陽の光を楽しむ親子の姿、会社帰りにフラリと立ち寄る女性、熟年カップルの平日ディナー、お年寄りたちの映画鑑賞会とランチ、夕方に男性客のグルメ買い出しなど、それまでにはなかった、川崎を舞台にしたショッピングシーンが、様々に展開されているのはご存じの通りです。

 
 

ラゾーナ効果をチャンスに!

 ラゾーナ誕生は川崎商業にかつてないほどの大インパクトを与えました。今となっては笑い話ですが計画進行中、川崎駅舎が古い建物なので、ラゾーナ開業後の大集客に安全性の不安を感じ事業者側が、JRに駅の改装を問い合わせたところ「古い駅はリニューアルしていくが、川崎駅の順番は下位」と冷たく言われたといいます。

 

 しかし幕が上がるとコンコースは広々と改装され、東西を結ぶ北口コンコースや北口改札が新設され、駅ビル(アトレ)内に改札までつくったのですからJRにとっても、こんなに人が増えるとは予想外の出来事だったのでしょう。

 

 2006年以降、川崎駅周辺にはそれまでに見たこともないほどの大勢の人々が広域から集まって来ました。車の来街も増えましたが、川崎は横の交通網が発達した街で、バス路線も多数あり、ラゾーナは改札より50mのSCですから公共交通機関による来街が主力になっています。単なる人出ではなく、おしゃれな高感度客層や若年層カップルやグループ、富裕層の来街もあり、過去の川崎には、ほとんど見られなかった人たちが街を回遊するようになりました。

 

 この頃から川崎の街イメージに具体的に「便利・活発・多様」という評価が表れ、マンション販売の広告にも「ラゾーナから徒歩10分」などというコピーを目にするようになり、今では「すすけた街」を知らない「ショッピングやエンタメを楽しめる街」と思う若年層もいるほどです。“街の変化”とは、こんなにも急激に起こるものなのだと感じました。

 
 

川崎ルフロン-積極的にMDを組み換え

 さて、この街の変化を目の当たりにした既存商業はどのような反応を示したのか興味深いところですが、チャンス到来と捉えて活性化した施設がいくつかあります。

 

 「川崎ルフロン」は川崎駅東口(ラゾーナは西口)にある大型商業(1988年開業)で、前述した西武や丸井が入居していた施設です。今の勢いが出るまで紆余曲折があり、時間はかかりましたがラゾーナインパクトを上手に活用した既存商業の代表だと思います。派手な打ち出しの商業施設ではありませんが、ラゾーナの不足MDや地域ニーズの高いMDを上手に編集し、堅実な集客をしています。

 

 2003年、西武百貨店退店後のスペースにヨドバシカメラを誘致しました。ビッグカメラ(ラゾーナ内)開業前なので、地域の家電量販店ニーズは高いものがあったのです。

 

 2018年、丸井退店後には、食品スーパーのライフ、フードコートや若年ファミリー向けファッション、インテリア専門店、100円ショップ、スポーツ大型店、アウトドアショップなどの新規導入テナントと既存テナントの編集を上手に行い、東口の多様なお客を取り込む間口の広いMDを展開しています。

 

 特に東口には十分な品揃えの食品スーパーが不足していましたし、時には数点だけを短時間で買物したい食品ニーズもあります。この地域の要望を捉え、「ライフ」は開業時より地元支持を集めて好調です。また東口になかったフードコート(350席)の出現もニーズにマッチし評価できます。2019年には上層階に「カワスイ 川崎水族館」を開業。都心水族館ブームの先駆けとなりました。

 

 ルフロンの変遷を見ていると、運営者の動きが2014年頃から活発になったことに気付きます。2013年に事業者が変わり14年には運営会社も新たになり、ニーズ分析、積極的なMDの組み換え、テナント誘致が行われ、街の人々にとって使い勝手のよい施設づくりとなったと見受けます。

 

 話題のワークマン女子やニトリデコホーム、おしゃれ系100円ショップのSeriaなど、新住民層にとっては気の利いたショップが集積、子連れママや老若男女の目的的短時間買物客にとって、大きからず小さからずの回遊のしやすさもあり、安定感ある施設になっています。

 
 

アトレ川崎-区画や導線の取り方に課題も

 ラゾーナインパクトで大リニューアルを複数回実施したのは、駅に併設される「アトレ川崎」です。レディースファッション、生活雑貨大型店(無印良品、東急ハンズ)やカフェなどの導入で、改札真ん前の駅ビルとして利便性を生かしたMDを展開しています。特に2017~18年に実施された駅北口通路と北口改札新設に合わせた新ゾーンのエキナカや、中央コンコースのメインエントランスに、おしゃれな食ゾーンを展開し、ディーン&デルーカ(カフェ・食物販)やポール(ベーカリー)などの導入により都会トレンド感を強くアピールしました。

 

 しかし乗降客数が多い他の駅ビルのような、集客力のある活況感は感じられません。上層の飲食街などは、お客の姿もなく厳しそうですし、地下1Fの食品フロアは旧態依然として魅力に欠けます。入店客が多く流れる通路は抜け道としてスルーされている様子です。

 

 問題点はその構造にあるのではないかと思います。この駅ビルは1959年に神奈川県で初めて完成した駅商業施設で、すでに築60年を超える古い構造物です。そこにコンコースを広げたり、商業床を増やしたりしたためか、商業として使い勝手の悪い床になってしまいました。区画も取りにくく、導線も引きにくい構造です。

 

 2008年以降、ラゾーナに対抗してリニューアルをしたものの、本来売上が取れる一等地でありながら、その優位性が活かされにくくなっています。来店客にもそれが伝わり、自分がどこにいるのか、目的の店がどこにあるのか、コンコースから見えるあのカフェや書店には、どこから行くのか、見通しが利かず、縦導線のエスカレーターやエレベーターがどこにあるのか分からないなど、ストレスを強く感じる商業施設です。

 

 よって人気のある大型店やおしゃれショップが入店していても、お客の目に入ってこないため、ポールもディーン&デルーカも、らしくない普通の店に映ってしまいます。何も知らない外野の勝手な発言ですが、JR千葉駅のように全体の建て替えをすればラゾーナの大脅威となったはず。何かの事情があったとは思いますが、街の人々には活用度が十分ではなくリニューアル効果が発揮されていない駅ビルに見えます。

 
 

Wing Kitchen・川崎地下街アゼリア

 京急川崎駅「Wing Kitchen」(2016年開業)は延床が1,200坪弱しかない商業なので、京浜急行利用者の立ち寄りが主な施設ですが、予想外に集客をしています。

 

 この「Wing Kitchen」が新設される前の京急川崎駅はかなり寂しいもので、古くて小さな食品スーパーが改札の脇にあっただけなので、小規模ながらようやく駅ビルらしい商業ができたと感じます。

 

 この建物は大師線ホーム上に人工地盤をつくり、商業施設(1~4階・25店)とビジネスホテル(175室)が入った12階建ての建物です。改札そばの1階は食物販ゾーンで、お弁当や手土産などの気軽な買物ができます。3、4階には100円ショップや飲食店で編集され、リーズナブルな食事が楽しめる気軽な飲食テナントを集積しています。高校生グループや1人で食事する女性、ファミリーや会社員など客層が多様で、夕方以降は川崎駅周辺の商業施設の中でも最も来店客でにぎわう飲食街になっています。

 

 こんなにぎわいがつくれるのなら、もっと早くから京急川崎駅をにぎやかにして欲しかったと感じる、明るく元気な商業です。

 

 1986年に開業した「川崎地下街アゼリア」は、ラゾーナインパクト後に、30年ぶりのリニューアル(2016年)に踏み切った地下街です。通行量ある東口地下街なので、リニューアルにより快適な環境とレベルの良いテナント構成で、見違えるような好感度の地下街になりましたが、開業数年で空き区画やテナント入れ替えが起こり、以前の姿に戻りつつあるのが残念です。

 
 

スタバ以外のカフェないの?

 最後に「ラゾーナ」についてお話します。前段より、川崎に大きな衝撃を与えたラゾーナと語ってきましたが、ラゾーナも開業からすでに17年が経過し、新商業施設ではなくなっています。2006年開業時に、ほどよい高感度ファッションの導入、地域一番の食MD、エンターテインメントの充実で都市性とゆとり生活を融合させて、環境の豊かさをもって集客を図ったラゾーナは2012年、18年とリニューアルをしてきました。

 

 開業6年後、2012年リニューアルでは、セレクトショップなどのトレンドファッションや服飾雑貨などの強化と、食関連の話題店導入の実施を行いました。開業前には見向きもしなかったテナントがラゾーナの強さを知り、多くのテナントが出店を望んだそうです。

 

 2018年にはロンハーマン(高感度セレクトショップ)、ルルレモン(ヨガウェア)、テスラ(車ショールーム)などの都心型トレンドテナントの導入、1階・食フロアの全面改装、ルーファー広場の人工芝化という大リニューアルを実施しました。

 

 今も変わらず平日・休日共に多くの来店客を迎えるラゾーナですが、一見盛況に見えるものの明らかな変化があります。客層が大衆化してきているのです。開業から数年間は高感度層・富裕層の来店があり、ファッション店や飲食店の利用が見られ、お客から期待されている施設のポジションが鮮明でしたが、この10年間でその層を見かけなくなり、マスターゲットやフォロワーといった客層となりました。普段使いのSCの雰囲気が色濃くなっているのです。

 

 その証に、こだわり層が注目するテスラに来店したお客は他店への立ち寄りなく帰ってしまい、18年出店のルルレモンは21年に退店。ロンハーマンは売上低迷と関係者から聞いています。こ の17年間にラゾーナはMDが乱れてしまいました。ゾーン編集が雑になり、テナントバリエーションが平凡になりました。ファッション全般にトレンドパワーが弱くなり、時代対応型の新MDへの取り組みも遅れています。

 

 また18年に1階・食物販ゾーンを全面改装したにもかかわらず、今どき感のない食ゾーンで保守・平凡に見えます。世の中が食のエンターテインメント化で盛り上がり、楽しい食売場が全国で提案されているのに、ラゾーナの食は普通なのです。レストラン群もチェーン店ばかりで個性なし。カフェブームなのに「スタバじゃないカフェはないの?」という女性の声が聞こえてきます。

 

 原因は何でしょうか?全国トップクラスのSCは見せ筋3割、売り筋7割の黄金比で“新”や“鮮”の提案力を発揮していかないと、新たな客層は創造できません。馴染みや分かりやすさだけでは、今日が良くても明日をつくるストーリーが描けない、それをラゾーナで感じます。

 

 普段使いされるSCである部分はしっかり低層でつくり、2階以上の見せ場ではネクストニューを提案することが地域を牽引するトップSCの役割だと思いますが、ラゾーナは17年間でのそのバランスを崩してしまったように感じます。

 
 

川崎商業の未来予想図とは

 図表③をご覧下さい。川崎と横浜の大型商業施設の売上です。公表している施設のみの合計売上推移なので正確ではありませんが、おおまかな2都市の流れを知ることができます。

 

 川崎は一見がんばっているようですが、2007年ラゾーナ売上(638億円)が加算され、そのまま10年間推移した後、2018年はラゾーナ売上にビッグカメラ売上が加算計上された部分と、「川崎地下街アゼリア」や「アトレ川崎」のリニューアル効果で70億円程度の売上増となったことがうかがえます。

 

 ルフロン売上が非公開なので図表には入れていませんが、18年ルフロンのリニューアル内容から売上増が実現できていると思われます。

 

 ラゾーナインパクトが2006年にあり、ようやく10年経過してチャンスを好機にした各施設の知恵が、数字に表れたところでしょうか。(横浜はコロナ前まで、ルミネ横浜やポルタ、ジョイナスが微増売上で健闘していますが、高島屋、そごう、マルイシティの売上減少が売上推移の落ち込み原因となっています。)

 

 総括として図表④に今の川崎商業を一覧にまとめてみました。

 

 近い将来の川崎商業を予測すると、駅から多摩川寄り(品川方面)に発展の可能性があると予測します。コロナ前まで、シネマコンプレックスを展開する「ラ チッタデラ」やさいか屋跡地の「ゼロゲート」(暫定利用)の動きがあり、ルフロンの堅実な実績も伴い、駅から横浜寄りに光明が差すかと感じていました。

 

 しかしコロナ禍を経て、コロナ共生時代になった今は、近年の京浜急行の街づくりへの取り組み(リニアモーターカー開通による品川駅周辺再開発計画など)が積極的になっており、京急「Wing Kitchen」の好調さ、発表されている京急川崎駅西側の再開発事業(2028年竣工予定)を考慮すると、JR川崎駅から京急川崎駅の流れが強化され、周辺地区の建て替えや新規商業参入(この付近は古いままの建物が残り、開発余地あり)などが促進され、商業のにぎわいが生まれる可能性があると思います(図表⑤)。

 
 

川崎ウォーターフロント構想

 さらに30年後、川崎は「川崎駅」と「ウォーターフロント川崎」の2拠点化になるでしょう。それは川崎市が「スーパーハイブリッドフロントカワサキ」という海側の開発計画を立ち上げ、推進しているからです(図表⑥)。

 

 京浜工業地帯は、1990年頃から鉄鋼・石油関連事業がグローバル化で海外に移転をし、海側に遊休地が増加しています。そこに市は30年後を見据えた新たな拠点(新産業・業務・住宅・商業・娯楽レクリエーション施設)を集積する街づくり計画を立て、すでに2017年「キングスカイフロント」という40haの土地にライフサイエンス・環境分野の研究開発拠点を開き、ヨドバシカメラやジョンソンエンドジョンソン、東急ホテルなどの大企業誘導に成功しています。

 

 川崎は羽田空港に近く、2022年「多摩川スカイブリッジ」という橋を開通させ、空港から直接ヒトを誘導する計画を実行しています。アクアライン浮島ICから大師IC方面に高速道路を走ると、このウォーターフロントエリアが一望でき、羽田空港、キングスカイフロント、スカイブリッジなどが見え、街づくりの進行を知ることができます。

 

 川崎は東海道五十三次の宿場町から発達してきた都市で、中心市街地はビルや住宅が建ち並び、大規模な仕掛けをする余地はありません。よって、新拠点形成で海側にスポットが当てられたのです。現市長は50歳の行動力あるリーダーなので、川崎ウォーターフロントの実現による新しい都市拠点には、大いに商業としても夢が持てるところです。

 

 30年後というと、何やら遠い先の話のようですが、実は街づくりに30年は必要な時間です。

 

 例えば豊洲は、1988年の有楽町線開通をスタートにNTTデータなどの本社企業が集まり、2006年ららぽーと豊洲オープン、08年頃から大型マンション開発が始まり、18年豊洲市場移転となり、現在があります。(人口98年6,954人⇒20年37,708人)

 

 横浜のみなとみらいは1989年横浜博覧会が開催されベイブリッジが開通、91年パシフィコ横浜国際展示場開業、93年ランドマークタワー開業、04年みなとみらい線開通、09年日産自動車本社移転となり、現在は従業者12.5万人、来街者8,340万人、居住者8,500人という新都心への発達を遂げています。30年は街形成にとって大切な時間です。

 
 

 ウィズコロナ時代、新日常のライフスタイルを若い川崎市民がどのように創造するのか、それを進化してきた川崎商業がいかに支えるか、そして30年後の東京湾を望むウォーターフロント商業は何が構築されていくのか。川崎のイメージがより豊かになるような新商業に期待がかかります。

 
 
(記:島村 美由紀/販売革新 2023年4月号掲載)