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2008.03.01

不動産フォーラム21

「食の安全を求めて」

 

 新しい年を迎えたばかりだというのに、中国産冷凍食品による恐ろしい食中毒事件が起き、食の安全性をより強く意識しなければならない時代性を痛感したのは私だけではないはずです。

 事件直後、TVではコメンテーターが自ら調理せずに手軽な加工食品を使用して食卓を囲む現代の食生活の風潮を嘆いていたり、安全性以前に値段の安さで輸入加工食品を選ぶ傾向にある消費者のコスト意識を指摘していたりと、様々な意見が交わされていて興味深いものがありました。特にコストについて、人件費が高い日本においては農作物や食品加工品だけではなく衣料品や工業製品までが世界中のコスト安の国に生産拠点が移っている時代になっているのは周知のとおりです。衣料品や工業製品については日本企業が現地法人を設立したり提携会社に技術者を送り込んだりして、「安かろう悪かろう」の時代はすでに過去のことになりつつありますが、最も管理が必要とされる分野である食品において今回のような事件が起こると、スーパーマーケットの選び方から商品の選び方まで考え直す時期になってきたということでしょうか。

 

「トレーディング・アップ」という消費者意識変化によって

市場が拡大するアメリカ食品のスーパー

 

 いまから25年も前のこと、ニューヨーク郊外に長く暮らす従姉の家に遊びに行き、不思議な従姉の買物行動に驚いたことがあります。子供たちを学校に送り出すと、彼女は新聞の折込みチラシをじっくり眺めチラシについているクーポン券をたくさんカットします。その束をゴムで留め、いざスーパーマーケットへ。当然、店ではクーポンの商品を棚から選びレジでクーポン提示することによってより安い買物をしていました。のほほんと暮していた私には、この従姉の目を血走らせるようなコストへの努力が強烈な刺激となりました。その数日後、この従姉は食料品を買出しに別のスーパーマーケットへ。そこは今でいうグルメスーパーと呼ばれる店で、彼女はワインやコーヒー豆等、当時若かった私の目から見たら“贅沢”と思われるような食品を買い込んでいました。クーポンで目を血走らせ、ワインをうっとりとした目で吟味する、なんと不思議な消費者でしょう。

 

 この従姉の消費行動は「トレーディング・アップ」と呼ばれ、この数年アメリカの小売業界のトレンドを理解する大切なキーワードになっているそうです。

 

 「トレーディング・アップ」とは、ごく当たり前に消費する日用品には1セントでも倹約しクーポンや特売を活用するが、必要と感じているものについては高額出費を惜しまない中間所得層で、低所得層的な行動と高所得層的な行動が一人の中に共存しており、一見ではわかりにくい価値観を持った新しい消費者たちといわれています。

 

 特に食品の世界では、この「トレーディング・アップ」感覚を持つ消費者が新しい潮流をつくり出し、アメリカ主要都市を中心にオーガニックやナチュラルプロダクトをテーマにした「グルメスーパー」と呼ばれる食品スーパーが多く出店し、売上を伸ばしています。

 

 日本以上に美容や健康への意識が高まっているアメリカでは、オーガニック市場(農薬や化学肥料などの化学製品を用いずに生産された農産物や食肉等の食料品が形成する市場)が1997年以来年々20%増で成長しており、昨年では、約3兆5,000億円に達する規模になっているそうです。その拡大の背景には、オーガニック食品に関する標準規格がなく、各州別に自主規制していたレベルであったため流通範囲が限定的であった状況が2000年末に連邦標準が定められて全米をまたぐ生産物の流通が可能になり、大手メーカーが全米レベルでのブランド開発を進めたことから、市場が活性化したといわれています。

 

 この結果が、前述した「グルメスーパー」の出現に拍車をかけ、美容健康ブームの高まりから「トレーディング・アップ」マインドを持つ中間所得者層を含めた富裕層の人々が、1~2割高くても食への安心・安全を求めてグルメスーパーを買い物の場として選択するという新しい市場をつくり出しています。

 

日本の専門家も注目するアメリカのグルメスーパー

 

 この数年来、日本の食品スーパー業界の人々が詣でているのが「Whole Foods Market(ホールフーズマーケット)」で、写真は2007年11月にオープンしたばかりのダラス郊外店の様子です。1980年、テキサスのオースチンで地元のサラリーマン3人によって創業されたこの店は、消費者のオーガニックブームをいち早く取り入れ、自然栽培・有機栽培の野菜や果物、安全性の高い肉類、健康によい魚類を豊富に取りそろえることを店のテーマとして他スーパーとの差別化を図り急成長。現在では、イギリスやカナダにも進出して約180店舗を展開。2005年度会計では47億ドル(5,170億円)の売上を上げるスーパーになっています。

 

 写真左のバナナ売場には「コスタリカの農業大学と共同開発した安全で美味しいバナナ」の物語がプレゼンテーションされています。試しに私も5本で約300円弱のバナナを買いましたが(いつも私は200円バナナ感覚。これが「トレーディング・マインド」なのです)、かなりの美味しさに感動しました。このように店内には、いたるところにオーガニックに対する店の姿勢や自然環境を大切にする店の哲学がアピールされています。

 

 写真右をご覧ください。なんと美しい野菜たちでしょう。こんなみずみずしい鮮度感ある野菜を、ホールフーズの人たちは、実に美しく見せるテクニックを持っているのです。想像を超えた野菜の並べ方、遠目で見た色どりの演出等々、感動することがたくさんあります。さらに、この店は、生鮮に重点を置くだけではなく食にこだわりを持つ客層に対して充実した商品構成を実現させるために、豊富なワインセレクション、対面型のチーズとオリーブ売場、コーヒーや紅茶の専門コーナーに、さらに周辺のドラッグストア以上の品揃えのあるサプリメント&ナチュラルスキンケアコーナー、デリコーナー(惣菜売場なのですが、この規模と品揃えがまたすごい)とイートインコーナーを充実させ、店舗規模も1,800坪にもなる店をつくり出しています。

 

 オーガニックをテーマにしたグルメスーパーはホールフーズマーケットばかりではなく、セントラルマーケットやウェグマンズ等、アメリカには多く展開されており、食品の安全に対する考え方、地球環境に対する主張、食の見せ方に対する進化した技術は、日本がまだまだ学ぶ点が多くあると感じました。

 

 仕事で多くの女性たちの意識を知る調査に立ち会いますが、「子供のことを考えるとなるべく安全性のある食品をと思って、自然食品を買ったりしましたが、値段が高くて家計に響き、長続きしません」というような意見をよく耳にします。今年に入り、物価が上昇傾向にある中、家計のやりくりは厳しい状況にありますが、年初の中国輸入食品事件は、少なからず自分の身を守るための「トレーディング・アップ」マインドを持つ層を増やすきっかけになるはずですし、できれば日本における食料自給率(1965年には73もあった日本が現在では40まで低下)の改善や食品小売業界の新たな動き等が起こるきっかけになることを期待しています。

 

 

(記:島村美由紀/不動産フォーラム21 2008年3月号掲載)