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2010.07.03

不動産フォーラム21

「新しい観光・新しい集客として 『カジノ ツーリズム』」

 

“街進化の標本”が体験できるラスベガスの面白さ

 今年1月、25年ぶりのラスベガスに出かけ、思わぬ収穫を得ました。まるで街進化の様子が手に取るようにわかる施設群が、目抜き通り沿いに発見できたからです。

 

 昔は砂漠だったというラスベガスが世界的なエンタテインメントシティとして発展した現在の姿は周知の通りですが、1800年代終盤から1900年代初頭にかけて北西部で金鉱が発見され、町には人が集まり娯楽としてのカジノが生まれました。この当時はカジノ+レストランの小さな「カジノハウス」であったにすぎません。それが、1931年ギャンブル合法化とフーバーダム建設によりラスベガスに人と金とその後の街発展につながる水と電力をもたらす大きなきっかけとなりました。

 

 ここまでは、さすがに街の中には何の片鱗も残っていなく、私もネット学習をした歴史のひとこまですが、1946年にマフィアのボスであるベンジャミン・シーゲルが「ラスベガスに超一流のカジノホテル」を目指して建設した「フラミンゴホテル」が現在でも営業を続けており、欧米中の富裕層を集めたカジノホテルの当時の最先端でありその後の模範例となった「カジノホテル」を体験できます。その「フラミンゴホテル」はリニューアルはしているものの、現代目線で言えば質素で何の飾りもなくシンプル。お客様はシルバー層が主で、「若いころから通いなれたカジノに今年も来た」という感じの常連老ギャンブラーが集まっています。

 

 「フラミンゴホテル」誕生後、マフィア進出によって発展しつつも犯罪都市となったラスベガスは、実業家ハワード・ヒューズによって1960年代に複数のホテルが買収され、大企業によるマニュアル化された「カジノホテル」が安全・安心の大人の遊び場づくりの号令の下に生まれ、カジノが産業として変身する成長を遂げました。

 

 1990年前後、ラスベガスのカジノは「大人」から“女性客や子供”をもターゲットに考え、「家族で楽しめるエンタテインメントシティ」を目標にして、カジノ+エンタテインメント施設+コンベンション施設の巨大な「カジノリゾート」へと発展します。この時代の施設群は、ベネチアの街並みを再現し館内に運河が流れゴンドラが行き交う「ベネチアン」や、古代ローマを再現したテーマホテルの草分け的存在である「シーザースパレス」、エジプトがテーマの「ルクソール」等、lこの20年間のラスベガスカジノ観光を背負ってきた代表的エンタテインメント満載型施設でラスベガスの目抜き通りに林立しています。

 

 私は滞在中、ベネチアやローマやモナコの街並みを演出したショッピングモールを回遊して来ました。どこも世界進出している有名なショップが軒を連ね、老若男女やファミリーが大勢でモールを往来しています。しかし、少々食傷気味。21世紀に入った今となっては、擬似的デコレーション文化に対し、「時代の気分」が変わってきています。事実、往来はあっても買い物客は多くはいませんでした。

 

 

 さて、その後21世紀に突入し、ラスベガスは再度、大人のためのゴージャスリゾートホテル時代を迎え、「ラグジュアリーカジノリゾート」へと進化を始めています。その代表格が「ウィンラスベガス」。カジノ・シアター・コンベンションホール・ショッピングモール・ビューティ&ヘルススパサービス・ゴルフ場・複数のレストラン&バー等、充実した巨大リゾートです。特にショッピングモールは、ハイエンドブランドの集合館として消費者心理をくすぐり、飲食施設はディナーレストランからカフェ、ファーストフードに至るまで業務を拡大し、カジノホールをバーやレストランがぐるりと取り巻くようにレイアウトされ、カジノでの遊び方の広がりを客に示しています。“大人”を切り口にしているだけに、20代~50代のカップルがカッコよく集まり、前述のホテル群との時代の違いをはっきりと見せています。

 

 さらに昨年の2009年12月、シティセンターと呼ばれるエリアに全米最大規模の8,000億円を投資した複合施設(カジノホテル・コンドミニアム・エンタテインメント施設)が27万㎡の敷地に誕生しました。私は、その出来立てホヤホヤを見たのですが、「ウィンラスベガス」の誰もがわかりやすいゴージャスさに対し、このシティセンターのアリアホテルやマンダリンオリエンタルホテル・各コンドミニアムは、モダン&スノビッシュという洗練された都会性を持ち込んだラグジュアリーの新しい方向性を持ち出しています。特に興味深かったのは、マンダリンオリエンタルホテルがカジノを持たない宿泊・コンベンション特化型高級ホテルであり、人的合理化を図りつつ「カジノは街中にあるお好きな場所へ」という、客を館に囲い込まず街に客を誘導する新しいスタイルのラスベガス方式をつくり出していることでした。このシティセンターゾーンで展開されるショップやレストラン等は、開業直後のため未開店の店が多かったのですが、客層は明らかに他の施設とはちがい都会派の人たちが集まっていました。

 

 このようにラスベガスの街はカジノを軸にした街観光の約70年間の進化ステップを見ることができます。それは70年間の人々の遊び方や人々の気分の移り変わりがそのまま施設デザインや施設構成に表現されているようで、その時代ごとの比較が面白く参考になりました。

 

 「ラスベガスを訪れる人の平均は48歳、平均2.6人のグループで、3~6泊し、毎日141ドルのお金を使い、1日3.3時間をギャンブルに興じる」というデータがありますが、年間3,700万人の観光客はカジノ目的が全体の6%にすぎず、ショーやショッピングやグランドキャニオン観光等ラスベガスの楽しみ方を多様化させ、すでに90年代でゲーミング収入とノンゲーミング収入(宿泊・飲食・観劇等)の売上が逆転(40%:60%)するという状況をむかえています。さらに街へのリピート率は、84%という統計から、街全体が世界でトップのエンタテインメントシティに進化&深化している姿を実感しました。

 

シンガポールのカジノ戦略

 今年はカジノの当たり年らしい私は、5月にシンガポールに行くと「マリーナベイサンズ」と「リゾートワールドセントーサ」の2つのカジノリゾートのオープンに出くわしました。

 

 地元の人に話を聞くと、シンガポール政府は建国以来40年間ギャンブルはシンガポール人の身を持ち崩すとしてカジノ設置を容認してこなかったのですが、2000年からシンガポールを訪れる観光客の増加が鈍くなる中タイやマレーシアへの増加が急増したため、シンガポール政府はその打開策としてカジノを含む総合リゾート開発に踏み切ったそうです。前述のマリーナベイサンズはオフィス街から近く、国際会議場が併設され、セントーサは家族が楽しめる大型レジャーエリアでもあります。

 

 しかし、シンガポール政府は用心深く、カジノが社会に悪影響を与える事を除去するため、満21歳以上、年会費2,000シンガポールドル(約15万円)、入場料を100シンガポールドル(約7,000円)に設定し規制をしています。またカジノ監督機関を設置し、運営等の関連業者に厳しい監視の目が配られています。

 

 

 とはいえ、私がカジノに行った感想では、写真でご覧のように、ラスベガスのようなエンタテインメント型カジノではなく、レストランもバーも併設されていない巨大なパチンコ店のようなカジノオンリーの空間で、中国系の人々がかなり真剣にゲームに打ち込んでいました。アメリカ人のように陽気に酔っ払いながらのギャンブラーや恋人とイチャイチャのプレイヤーなどという姿は一人もいなく、まさにお国柄の違いが施設構成や人の姿に見られます。

 

 

 シンガポール政府は、カジノ構想によって不動産業、建設業、観光業への+効果を期待し、カジノ追加設置の動きも検討されていると現地の新聞報道がありました。

 

 

 さて、不景気で停滞する日本経済ですが、4月号でお知らせしたアジア観光客増加の激しい動きがある中で、どこかの都市に、どこかの街に、カジノの実現認可が下され、日本も「カジノツーリズム」をそろそろ導入されてもよいころかと思います。“ビジットジャパン”の具体的施策がないと、アジア客もどこかに取り逃してしまいそうな気がしますが、皆様のご意見はいかに?

 

 

(記:島村美由紀/不動産フォーラム21 2010年7月号掲載)