繊研新聞
「ファッションビル40年のエポックメーキング」
44年前に日本初のSCは誕生した。同じ年に、都市型ファッションビルの代表格であるパルコが東京・池袋に開業している。古いファッションビルのフロアガイドをひも解くと、ファッションビルの固有性を確立してきたファッションMD構築の経緯が面白く見えてきた。
憧れへの合言葉
70年代“銀座・インターナショナル”―69年開業の日本初SCである玉川高島屋SCの開業時ガイドを見ると、「日本橋や銀座の老舗が玉川で」というコピーとともに、日本橋・銀座の有名店が軒を連ねている。日本橋高島屋の開発だから、そのブランド力をテーマにするのは当然のことだが、誰もが“ハイセンス・ハイエンド・ハイクオリティー”をイメージできる共通項が銀座・世界という単一であることが経済成長時代の日本を物語るようで興味深い。また、76年に開業した天神コアの開業時ガイドでも「銀座・新宿では今」「パリ・ロンドン・ニューヨークのファッションセンス」というコピーが掲げられている。開業時のテナントは、東京の有名店を筆頭に地域一番の小売店が並び、何を売るかより知名度で人を集めるMD構成であったことが、玉川高島屋SCと同感覚の時代性を感じる。
成長と発展に貢献
「DCブランド」と「平成カジュアル」―都心型ファッションビルの代表格である渋谷パルコの80年代から現在までのフロアガイドを見ると、SCが若年層に深く浸透した基盤を築いたのは、80年代の「DCブランドブーム」と90年代半ばの「平成カジュアルブーム」であることに気付く。
DCブランドは79年ごろから渋谷パルコにTK、イッセイミヤケ、ニコル、ワイズ、コムデギャルソンが出店し、その後ビギ、メルローズ、ピンクハウス、バツ、アトリエサブなどの多くのDCブランドが出店。若者層の憧れファッションとなり、全国パルコに波及し、高感度SCポジションを築いた。このDCブームは瞬く間に全国に飛び火し、なんばシティ(78年開業)、ダイヤモンド地下街(64年開業)、セントラルパーク(78年開業)など、当時の地域代表SCの超主力MDとなった。中には当時の館売り上げを今でも超えられないほどの館活力だった。80年代はインポートブームも時代を牽引したが、その主力は百貨店であったのに対し、それとは異なる小売業態としてSCを若者層に認知させ、トリガーとなったのは80年代のDCブランドパワーである。
さて、このDCブランドが定番となりつつあった80年代後半から次のビッグウェーブとなる動きが生まれた。それが「平成カジュアル」であり、その後に続く“ヤングカジュアルブーム”の先駆けとなった。84年オリーブ・デ・オリーブ、85年ナイスクラップ、87年チャイルドウーマン、92年ローリーズファーム、93年オゾック、そして99年アースミュージック&エコロジー・・・今では全国SCの定番MDに成長しているブランドを、渋谷パルコは80年代後半から導入をはじめ、93年にはフロア名称に初の「ヤングカジュアルストリート」という“ヤングカジュアル”のタイトルをつけ、平成カジュアルブランド群を積極的に展開。裏原ブーム、ストリート系ブームを受けて04年には「シブヤリアルスタイル」「ヤングリアルカジュアル」とフロア名称も複数展開でカジュアル領域の拡大を図って現在につなげている。このカジュアルブームが全国のSCに波及したことは周知の通り。DCブランドを体験した世代は50代、平成カジュアルの主役だった世代もすでに30代半ば~40代。SCを身近なファッションステージとして認知する客層をつくりあげた二つのブームのSC貢献度は極めて大きい。
波を捉えてきたSC
もう一点、経年の渋谷パルコのフロアガイドを見て興味深いのは、レディスの多様化に対しメンズのポジションが常に変わらず消極的なことだ。90年代~00年は定番デザイナーズ系テナント及び定番メンズブランドが長く変化せずフロアを構成しているが、03年から1フロアが「クロスファッション」となり、12年にはメンズフロアが完全廃止(パート3にはカジュアル系テナントが一部残留)。弊社のコンサルティングをしている複数のファッションビルでもメンズを積極的に扱っているSCは少数派で、扱いなしや、廃止方向のSCが主力だ。これはメンズ充実型のセレクト業態が00年以降、SCに積極進出をし、高感度な男性客がセレクトに流れたこと(99年ユナイテッドアローズのルミネ横浜出店、98年ビームス、トゥモローランドのHEPファイブ出店、00年ユナイテッドアローズ、トゥモローランド、ジャーナルスタンダードの池袋パルコ出店)。05年以降のスポーツブランドブームでメンズカジュアルの主流がスポーツファッションとクロスしたこと、廉価スーツのSPA(製造小売業)業態が増加したことなどの複数要因と、長期化した不景気で、リアルショッピング傾向にある男性の購買層が分散した結果であろう。
40年間のエポックメーキングを全て語りきれてはいないが、時代の波を上手に捉えて生き残ってきた各SCの時代対応力に次へのヒントが隠されている。
(記:島村 美由紀/繊研新聞 2013年6月4日掲載)