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2008.09.05

「ガソリン値上がりでも“安・近・短”で好調な『アウトレットモール』」

 

 年初からの不景気風が吹いて、夏休みは“安・近・短”というお金のかからないお手軽レジャーが主流となりました。海外ファミリー旅行や有名温泉めぐりをあきらめた家庭では、「近頃はやりのアウトレットモールでも見に行く?」と奥様の提案で、アウトレットモール初体験をしたお父さんがけっこう多くいたのではないでしょうか。

 

“アウトレットモール”。この耳慣れない名前のショッピングゾーンが不景気な日本で、やけに勢いよく各地に広まっています。実はこれ、好景気にも強く不景気にはますます強度を持つおばけのような存在のビジネスなので、市場変化のひとつとしてご紹介したいと思います。

 

“アウトレットモール”とは何ぞや!?

私のアウトレットモール初体験は二十数年前、遊びに行ったニューヨーク郊外の従姉の家で、ご近所の人が、「こんなすごいものが近所にできて車が渋滞し大変だ」と騒いでおり、ミーハーな従姉と共に見学に行った「ウッドベリーコモンプレミアム・アウトレット」でした。当時のアメリカは長期不況に苦しむ時代で、消費不況の中、在庫処分を目的にした大処分安売り市場的“アウトレットモール”が各地に誕生し始めた頃でした。

 

 アウトレット(outlet)とは出口・捌け口の意味ですが、以前より米国では「ファクトリーアウトレット」という存在がありました。これは、製造工程で生まれるキズ物や汚れ物、はんぱ物等、一般商品として取り扱えないが廃棄処分するにはもったいない商品を、工場周辺の住民に奉仕品としてメーカーが格安で提供する店のことで、たいがいは工場近くに小さく営業をしていました(日本でも時々見かけます)。また、もうひとつのアウトレットの存在として「リテールアウトレット」というものがあり、これは小売店で売れ残ったり汚れたりしてしまった商品を処分する方法として、ある専門業者(または大手小売業の場合はその会社自身)が買い取り、ブランド名を表すタグをはずして格安で販売するというもの。マンハッタンやロスの繁華街のはずれには倉庫スタイルの「リテールアウトレット」があり、中には半シーズン前のブランド品がまざっていたりして掘出物にめぐりあえる人気のある店でした。

 

 大量生産国アメリカは以前からこのようなアウトレット(捌け口)ビジネスがあったわけですが、「ファクトリーアウトレット」や「リテールアウトレット」を一堂に集積してモール形態(小売店を集積し小路に沿って店舗の連なりをつくり客を回遊させるスタイル)をつくり、集客計画を図る「アウトレットモール」は、1980年代半ばにウッドベリーコモンプレミアムアウトレット(世界最大級220ブランド)を代表格に、アメリカ各地に誕生しました。

 

 さて二十年前、このウッドベリーコモンを初体験した私は、広々して美しい環境については好印象でしたが、「キズ物・汚れ物・売れ残り」といった商品のマイナスイメージを払拭できず、サイズが大きくて大量の商品にウンザリ。「やっぱり買物はフィフスアベニューに行かなくっちゃ」と手ぶらで帰ってきた記憶があります。もしかしたらシャネルのお宝に出会えたかもしれないのに、アウトレットモールの価値を知らなかった私でした。

 

 ちなみに、一般市場の近くで処分品を売ることはブランドイメージや価格保持がしにくくなるという理由から、アウトレットモールは市街地から遠く離れた立地に計画するというビジネスセオリーがあり、ウッドベリーコモンは、ニューヨーク郊外(車でマンハッタンより1時間)の田舎町にあって、大勢の人々、それも海外旅行者も含めて押し寄せ、ご近所迷惑の話が出た二十数年前の出来事でした。

 

沸き立つ日本の“アウトレットモール”

 アメリカの流行りモノはすぐに日本に導入されるのが常ですが、80年代後半バブル景気の日本はアウトレットモールへのニーズはない時代でした。それが90年代の不景気時代に入り、1993年埼玉ふじみ野市に「アウトレットモールリズム」(本開発までの暫定利用)、大阪「鶴見はなぽ~とブロッサム」(現「三井アウトレットパーク大阪鶴見」)、1995年軽井沢に「軽井沢・プリンスショッピングプラザ」が誕生し、アウトレットモールの存在を消費者が知るきっかけになりました。

 

 日本における本格的なアウトレットモールビジネスの幕開けは、1998年横浜市金沢区に三井不動産が開発した「横浜ベイサイドマリーナ」で、半年間で400万人もの集客があり、脚光を集めました。この成功に影響を受け、2000年には「グランベリーモール」(東京都町田市・東急電鉄)、「御殿場プレミアム・アウトレット」(静岡県御殿場市・チェルシージャパン)、「ラ・フェット多摩南大沢」(東京都八王子市・三井不動産)、「ガーデンウォーク幕張」(千葉県美浜町・三井不動産)、「マリノアシティ福岡」(福岡市西区・福岡地所)、「りんくうプレミアムアウトレット」(大阪府泉佐野市・チェルシージャパン)と各地で一挙に大型6施設のアウトレットモールが開業しました。(三井不動産が運営するアウトレトモールは、2008年4月より各称が変更・統一されています。)

 

 現在日本には約30ヵ所のアウトレットモールが存在し、その総売上高規模は4,000億円~5,000億円といわれ、大きな流通ビジネスとして成長を遂げています。

 

アウトレットモール成功の秘訣

 主力アウトレットモールは、平均2万㎡~3万㎡の店舗面積を持ち、大規模施設では4万5,200㎡(御殿場プレミアム・アウトレット)や、4万3,260㎡(マリノアシティ福岡)もの床を持つモールがあります。おのずと敷地面積も、大規模駐車場を保有する必要があることから5万㎡~30万㎡と広大になります。

 

 よく町外れやリゾート地に広大な土地を持つ事業者から、「アウトレットモールはできないだろうか」という相談を受けますが、前述した一般市場から離れていて、広い敷地があればアウトレットモールが成り立つか、といったら答えは「NO」。アウトレットモール成功の秘訣は「いかに人気のあるメジャーブランドを誘致できるか」にかかっていると言っても過言ではありません。

 

 ある時、大手広告代理店の有名ディレクターと話をしていたら、「御殿場アウトレットには奥さんと行くよ。グッチやドルチェ&ガッバーナなんて海外ブランドがそろっていて安いからね」という発言がありビックリ。銀座や表参道で買物をしているイメージのある人だけに意外でした。

 

 またある時には知人から、「幕張のアウトレットは便利よ。大手メーカーの有名ブランドやセレクトショップが出店しているし、都内では手に入りにくい若い子向けの服の私でも着られるLサイズもあるし」とミセスならではの発言がありました。みんなけっこう便利にアウトレットモールを活用しているらしいのです。

 

 さてこの動向から見えてくるのは、大処分安売り市場であるアウトレットモールですが、「安ければ何でもよし」というわけではなく、「何のブランドが安くなっているか」が消費者にとって大きな問題になってくるわけです。例えば、銀座に軒を並べている海外ラグジュアリーブランドがアウトレットに店を出していたら……、都内のファッションビルでお洒落な店をやっているセレクトショップがアウトレットに店を出していたら……、世界レベルの有名スポーツメーカーが店を出していたら……。どれも消費者にとっては垂涎の出来事ですから、おのずと消費者にとってのアウトレットモール評価は、出店ショップの顔ぶれのメジャーさや希少性で決定されます。

 

 現在、日本のアウトレットモールの開発は三井不動産とチェルシージャパン(米国チェルシープロパティグループと三菱地所、双日の合併会社)の二大ディベロッパーが主力となっており、三井不動産が7施設(2008年8月現在)、チェルシージャパンが6施設(2008年8月現在)で、両社8施設目までの開業を発表しており、シェア争いでしのぎを削っています。

 

 なぜこの2社がアウトレットモールの主力企業となったのか。その答えは、三井不動産は説明するまでもなく、日本で有数の都心型・郊外型商業施設を開発・運営しており、人気ブランドを展開する多数の事業者との付き合いがプロパーマーケット(一般市場)で成立していること、またチェルシージャパンはアメリカで約43ヵ所のアウトレットモール事業展開により、有力ラグジュアリーブランドや米国有名アパレルブランドを日本でも導入可能な力を持っています。どちらも消費者にとって魅力的なショップを数多く誘致できるネットワークとオペレーションキャリアを持った二大ディベロッパーなのです。

 

 過去において、アウトレットモール事業を始めたディベロッパーはいくつかありましたが、消費者にとって魅力的なショップの顔ぶれテナントを連れてこられなかったために、集客が先細りとなり倒産してしまった企業もあります。

 

「どのブランドの店があるのか」―これが消費者にとってはアウトレットモールへ出かける大きな決め手です。

 

 今、日本のアウトレットに進出していない人気ラグジュアリーブランドは「ルイヴィトン」と「シャネル」。もしこのブランドが出店するアウトレットモールが誕生したら、日本で最も長い行列ができるかもしれません。

 

テナントの悩み

 有力ディベロッパーの担当者から聞いた話では、「好調・不調の関係なく、開発した全アウトレットモールの月坪効率は30万円を優に上回る」そうです。それほどにアウトレットモールは消費者のサイフの紐を緩ませる商業業態ですが、出店するテナントも売れるだけに悩みは尽きないようです。「ブランドイメージを壊さず、プロパーマーケットに悪影響を及ぼさず、消費者の信用を保ちつつ、アウトレットモールに出す商品を準備すること」これがなかなか難しい課題のようです。

 

 処分品を売るアウトレットモールの建前から考えてみれば、月坪30万円以上も売るほどの処分品を持っているテナントは「商品管理能力があるのか?」という疑問が出てきます。もし大量の売り残しがあるとしたら生産計画に問題があり、キズ物や汚れ物が大量にあるとしたら生産プロセスや店舗運営に問題があるわけですから、アウトレットモールの実績が好調だとしたら、なぜそんなに処分品を持つメーカーや小売業者が存在するのか? という問題が出てきます。そこまで考える消費者は稀でしょうが、業界動向を冷静に見ると不思議な話です。

 

 また消費者の中には、一般市場で半年前、1年前に見かけた(または購入した)商品をアウトレットモールで見つけたら、「だったら一般市場で買わずにアウトレットで買物すればいいや。一年落ちでも十分だから」という割り切りをする人が出てきます。

 

 そこで各出店企業(主にメーカー)では、本来のアウトレットの役割として処分品のみを処理する捌け口として、数店舗のみの出店だけにとどめている企業もあれば、製品化のためにつくった付属品(ボタン等)や生地が残ってしまったため、これらを使って売れるデザインで生産した「再生品」を安い値付けでアウトレット専用に生産し、プロパー品の在庫処理では間に合わない部分をこの再生品で補っているセレクトショップもあります。ただ、海外ブランドショップの中には、大半のアウトレットモールに出店しているブランドがあり、あまりの出店数に、米国からアウトレット店舗用商品が送られているのではないか、との噂があります。

 

 ある中堅のアパレルメーカー幹部に会った折、「業界仲間の多くが、アウトレットは儲かると口をそろえて言っているので、出店の誘いがあるとすごく悩む。が、仲間企業の動向を見ていると、売れ残ったらアウトレットに流せばいいという感覚があるのか、やけに商品づくりが荒っぽくなったような気がする。そんな姿を見るたびに、プロパーマーケットでしっかり戦おうと心を戒めている」という発言がありました。

 

 売れるアウトレットマーケットだけに、それぞれのテナントは、深い悩みを抱えているようです。

 

レジャーランド化するアウトレットモール

 アウトレットモールは都心から大きく離れた観光地や独立立地(どこも道路事情は良好な立地)に位置しています。前述したとおり、プロパーマーケットを守るためなのですが、観光地に立地する場合は、来街者にとってその観光地を訪れるひとつの目的地となる場合も多々あり、「軽井沢・プリンスショッピングプラザ」はその好事例で、今や軽井沢のひとつの顔になりつつあります。また「沖縄アウトレットモールあしびなー」も沖縄本島の観光コースに盛り込まれており、多くの沖縄観光客が訪れています。北海道千歳市にある「千歳アウトレットモール・レラ」も同様です。

 

 独立立地につくられたアウトレットモールは、広大な敷地に飲食施設やスパやドッグラン等が併設され、買物だけではなく一日ゆったりと楽しめるレジャーランド型に進化を遂げている施設が多くあります。

 

 また近頃では、海外(アジア圏)からの旅行者が団体でアウトレット観光を楽しむ姿も多く見かけられるようになってきました。

 

 冒頭に書いた“安・近・短”のレジャー施設として当分アウトレットモール好調は続くでしょうが、すでに今年度中に30ヵ所以上のアウトレットが日本で営業していることになるそうですから、そろそろ開発はピークとなり、今後は各モールのレジャー化への充実(ショップの集積度・娯楽性のバラエティ化等)が図られる時を迎えるのではないでしょうか。

 

 

(記:島村美由紀/不動産フォーラム21 2008年9月号掲載)