販売士
馬鹿丁寧(ばかっていねい)を考える
「これって必要なんだろうか?」と感じるショップでの接客対応はありませんか。エネルギーをかけて行う意味も意義もさっぱり理解できないあの対応です。
これからお話する3つの対応は、最近私が「謎」に感じている事例です。
皆さんはどう思いますか?
アパレルショップにおける「お見送り」の謎
中級クラス以上のアパレルショップで「出口までご一緒に」と商品を入れた紙袋を持って出口で見送ってくれる接客対応をよく受けます。これが私は嫌いです。
嫌いな理由の一つは、買物した後でもまだ店内を自由に見たい気持ちがあるからです。帰りにもう一周すると、さっき気付かなかったステキな物を発見できるかもしれませんし、その店の雰囲気をもう一度味わいたいという気分もあります。
この「最後にひと周り」が結構楽しいのですが、「出口までどうぞ」と言われると、この「最後のひと周り楽しみ」が奪われてしまうのです。嫌いな理由のもう一つは、見送ってくれるスタッフに何の芸もない場合がほとんどだからです。気の利いた言葉もなく、親しくなる会話もなし。出口で頭をさげてさっさと店内に戻る姿には興ざめです。
おそらく以前は、高級店や上顧客に対する丁寧な接客として「お見送り」のマナーがあり、それを上手にこなせる熟練スタッフが店にはいたのでしょうが、今は意味や意義が考えられず、行為だけまねしているいるショップが多くあります。私の友人は「意味のない馬鹿丁寧」と評価しています。私も同感です。
「お箸とおしぼり」のありかを知らせる謎
いつも利用する空港の売店での接客に変化が起こりました。お弁当を買うと販売スタッフが左手でお弁当を持ち右手で指差し「お客様、お箸とおしぼりはこちらについております」とニコッと笑って説明してくれるのです。「それは誰でも知ってますよ。コンビニ弁当だってお箸は付いてくるし、駅弁だってお箸が付いているし、この広い日本の中で箸を付けずにお弁当を販売している店はありませんよ」とスタッフに言ってあげたくなるような無駄なアクションと笑顔です。それも多忙な朝時間に弁当を買うすべてのお客さんに説明しています。
私も少し大人になってウソを言っているわけではないこの説明行為に付き合う必要があるのかもしれません。でもついこの間まで混み合うこの店ではまったく無愛想に代金と交換に弁当を渡していた店だけに、お箸とおしぼりを説明する接客を導入した理由を知りたいところです。朝から馬鹿丁寧な感じで違和感が残ります。
過剰包装の謎
買物後の包装は自宅で包みを解いていくとこんなにゴミが出るのかと、あらためて驚く量です。セーター1枚でも薄紙に包み紙袋に入れ手提げ袋で持たせてくれるほど丁寧です。この包装紙のゴミを捨てるのがストレスになります。エコ時代の今は地球のためにもう少し簡易な包装でも良いのではないでしょうか。
先日、あるブランドショップから小ぶりのみかん箱大のボックスが届きました。心当たりはありません。開封してみるとA3サイズのカタログが過剰に包装されていました。頼んでもいない不明で立派なカタログとゴミに出さなければならぬダンボール。有名ブランドゆえにありがたがる人もいるかもしれませんが、私はその有名ブランドの時代に対する配慮のなさを感じました。今は、丁寧がダサく、簡易がカッコいい時代ではないでしょうか。
レストランで是が非でもやりたい料理説明の謎
近頃、ちょっとしたレストランは1品ごとに料理の説明をしてくれる店が増えてきました。クオリティあるレストランでは、その説明を聞くのも楽しいパフォーマンスなのですが、さほどのグレードもない店ではいかがなものでしょうか。メニューを見ればわかる事ですから。
また仕事の会食やプライベートのときでも話込んでいるにも関わらず、料理説明のために割って入ろうとするサービススタッフ、また席の片隅でタイミングを見はかるためじっと待つサービススタッフ。どちらにしても是が非でも説明する必要があるのでしょうか。時には話が一番、料理が2番の食事の場面もありますよね、大人の世界には。こんな丁寧さには困ったものです。
「馬鹿丁寧」ってちょっと強い言葉ですが、実体にマッチしていない過ぎたサービスや対応と読みかえると、お客様にとっては無駄であったり不快であったりというマイナスなことなのです。とくに消費者でもある女性の視点で感じてみると、店を帰りにもうひと周りしたい心理やゴミ出しのストレスであったりが理解できると思います。自分が違和感を持つことはお客様にとってもナンセンスな接客であることを男性スタッフよりリアルに感じられる人たちが女性だと思います。
丁寧も度が過ぎるとマイナスになります。あなたの店は「適性な丁寧」になっているか、いま一度見直してみてください。
(記:島村 美由紀/販売士 第20号 (平成28年3月10日発行)女性視点の店づくり⑤ 掲載)