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2021.04.01

不動産フォーラム21

60年前の日本人の気負い-1964年東京オリンピック 国立代々木競技場-

  

 1年延期となった東京2020オリンピックは今年7月23日開会予定で準備が進められています。しかし長引くコロナ禍でいまひとつ街の雰囲気は盛り上がってこない様子です。多くのアスリートがオリンピックを目指して精進しているので、この努力を花咲かせられるようにしたいものだと思います。

 

●500日で完成させたオリンピック競技場
 我がオフィス近隣の代々木の社に1964年東京オリンピックで使用された国立代々木競技場があります。その存在は日常の景色のひとつとして当たり前になっていて注目することもなく見過ごしていました。

 

 数年前に、屋根や石垣の修繕工事が行われ「2020オリンピックに合わせた準備なのかしら」と眺めていましたが、その後はいつもの静かな代々木の社のたたずまいに戻っています。

 
 緊急事態宣言の中、久しぶりにオフィス周辺を散策した時のこと、あらためて日本の代表的建築家、故丹下健三氏による国立代々木競技場を眺め、その美しい存在感に圧倒され、じっくりとその建築物を鑑賞しました。

 

 代々木競技場が建設された地には、それまで占領アメリカ軍施設ワシントンハイツがありました。以前、表参道にあるキディランド(老舗玩具店)を調べた時、ワシントンハイツに居住する米軍ファミリーに向けて雑貨や玩具の専門店として成立したとあり、その他の表参道の洋菓子店やレストランもこれら外国人向けにハイカラな店を出して繁盛したと知り、おもしろい歴史のある一帯だったことがうかがえました。

 

 しかし、アメリカ軍との返還交渉が難航したため競技場の着工はオリンピック前年の2月となり、わずか500日の工期で完成させたという驚くべきスピード工事だったのです。

 

 1964年の東京オリンピックを記憶する世代の方々は、代々木競技場の独特の巻貝のような美しい曲線フォルムを思い出すはずです。これは競技に観客が集中できるよう内部に柱を持たせないため屋根全体を柱2本(第一体育館は2本、第二体育館は1本)で吊り下げる特殊な吊り構造によってつくられた日本初の建築で、その初の試みを500日という短期間で実現させたわけですから日本の技術の優秀さがうかがえます。

 

 国立代々木競技場は第一体育館、第二体育館からなり、第一体育館では水泳競技が、第二体育館ではバスケットボール競技が開催されました。その後50年以上各種のスポーツイベントや音楽ライブ会場に使用され続け、今回の2020オリンピック・パラリンピックではハンドボールの開催が予定されています。

 
 

●今も圧巻の静かなる存在感
 東京2020大会のために建築された新国立競技場は68,000人収容の巨大スタジアムで、47都道府県から集めた杉材や松を使用して周辺の景観になじむように高さを抑え“自然”を意識した21世紀らしい建築物です。

 

 写真をご覧ください。1964年東京オリンピックの競技場は当時の超モダンデザインで世界中の人が初めて見る複数の曲線のしなやかさで構成された建築物です。当時来日したオリンピック関係者が「選手が感動し気分が高まりやる気を起こさせるデザインだ」と評したそうですが、60年近くが経過した今でも他に類似することのない唯一無二のデザイン、それも日本人の繊細さとしなやかさを表わす静かな存在感を感じさせます。

 

 あの当時、世界に向けて日本の力を示そうとみんながひとつになりオリンピック成功に集中した高揚感が蘇ってくるようです。丹下健三氏も現場の職人もオリンピック関係者も世界に向かって気分を奮い立たせこの建築物を作ったのでしょう。

 

 ちなみに第一体育館は13,245人収容、第二体育館は3,195人収容の今では小規模キャパなので約60年経過するとオリンピックという世界イベントの役割も変わってきたのだと感じます。

 
 

 60年前は日本中がひとつになってオリンピックに願いを込めた。いまは個々がそれぞれの価値観の中で関心事も異なる時代。莫大な費用負担を懸念し名乗りを上げる候補都市も減少傾向にある。さらにコロナに限らず新種の感染症とのたたかいはこれからも続くそう。オリンピックという世界規模のイベントももしかしたら過渡期に差しかかっているのかもしれません。

 
 

(記:島村 美由紀/不動産フォーラム21 2021年4月号掲載)